2019 SINANO100周年記念

2019年1月1日。この場所で。この場所から。
SINANOは創業100年目を迎えた。
過去、現在、そして「これから」が交差する。


国産杖100本寄贈企画

日頃の感謝の気持ちを込めて、佐久市に杖100本を寄贈しました。
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SINANO100周年記念、杖100本を佐久市に寄贈しました

シナノ工場祭開催!

体験ブースや屋台、アウトレット販売などなど…ご来場の皆様に楽しんでいただきました。
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SINANO100周年記念工場祭を行いました!

スキー技術選大会開催

プロスキーヤーによる華麗なデモンストレーションの後、大勢の参加者の皆様に技術を競っていただきました。
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SINANO100周年記念大会閉幕。レポートはこちら!
SINANO100th Anniversary



100周年記念 限定モデル・特別イベント


アニバーサリーを飾る特別なトピックを随時発表していきます。

ステッキ・歩行補助杖

【日本の伝統工芸】

甲州印伝とのコラボレーション・ステッキ。
カイノス甲州印伝ステッキへ

ステッキ・歩行補助杖

【人気のアイビー】

限定カラーグリップを搭載したアイビー柄折畳杖。
ネオクラシカル折り畳み100th

ウォーキングポール

『もっと安心2本杖』に大好評のアイビー柄3種類が新登場。
もっと安心2本杖100th

スキーポール

伝説のスキーポール『INTRA』を数量・期間限定で完全復刻。
INTRA特設サイトへ

イベント<スキー>

SINANO100周年記念スキー技術選大会を開催しました。
sinano100周年記念シナノカップ大会開催

トレイルランニング

100周年記念モデル『トレランポールAIR』
2018年10月予約、締切済

スキーシーンの変化と、SINANOポールの進化。その軌跡。

日本にスキーが伝来して以来、時代を追ってマテリアル・ゲレンデ・そしてスキーヤーの滑り
は進化してきました。SINANOは時代の変化に合わせ、ユーザーの要望に応えてきました。

1911年日本にスキーが伝えられる。

1911年(明治44年)新潟県にて、オーストリア陸軍のレルヒ少佐によってスキーが伝来。日本スキーの歴史が本格的に幕を開ける。

SINANOが本社を置く長野県には、翌年の1912年に伝わり、その後長野県全域にすぐさま広がっていった。

1919年「信濃スキー製作所」として創業。

和竹ポールの生産開始。一見、何の工夫もない一本の竹に見えるが、例えば当時(1930年代)のハイエンドのポールの仕様をみると、竹は最も乾燥した弾力性のあるものを選定し、リング(現在のバスケット)や石突きに独自の改良を加え、茶利革製ストラップを採用するなど、「より良いポールを作りたい」というこだわりを垣間見ることができる。

【世相】

30年代後半になると再び日本は戦禍にのまれていった。次第に、軍需との兼ね合いの中でポールの生産に必要な材料の値段も高騰したが、社内の資料によると販売価格を据え置くなど営業努力をしていた。

1946年和竹に加え、中国産の竹を輸入しトンキン製ポールを生産。

戦後復興が始まる中、信濃産業株式会社(後に数回社名を変え、現在の株式会社シナノになる)として会社設立。国産のみの竹ではなくトンキン製(中国産)のポールも生産するようになる。一時期では、中国産トンキン竹の国内輸入の六割をSINANOが占めていた。

1956年合竹ポールを生産。

三本並んでいるうち、下2本が合竹ポール。上の竹ポールと比較して、竹の節がないのが見て取れる。

合竹ポールとは、複数の竹を使用した竹製の集成材ポールである。これにより、ポール毎の強度のバラつきを抑えることができ、より安定したポールをスキーヤーに届けられるようになった。見た目は、竹の節がなくなり、代わりにストレートな六角形の断面を持つ。

この時すでに年間40万組のポールを出荷する体制が整っており、国内ポール生産量第一位のメーカーとして知られていた。

1956年南極地域観測隊に合竹ポールを納入。

昭和31年12月4日の新聞記事より

1956年に結成された南極地域観測隊は、同年に日本を経ち、翌年には昭和基地を開設。映画化された「タロ」と「ジロ」も同船していた。

予備観測の際から使用され、そこで高い評価を得たため本観測ではSINANO製ポールのみが採用された。観測隊には、特製のポールを100組納入。

1968年スチール及びアルミ製ポールの生産開始。

50年代後半からトレンドは、合竹からスチール、グラスファイバー(全盛期は60年代初めだという)、60年代後半にはスチールやジェラルミン(アルミ)が人気になっていった。

翌年には、スチールとジェラルミンの熱処理、表面処理を可能とした生産体制を確立。国内メーカーとして全国で初めて、ポール生産の社内体制を整えた。これにより、人気が高まった金属ポールを増産し、大幅な生産コストの削減に成功し、ユーザーが求めやすい小売価格を実現した。

1970年高級アルミ製ポールを販売開始。

当時の価格で¥8,000(今の価値で約¥32,000)。スキーの大衆化を背景に、新たなデザインと新素材でリリースされた高級モデル。石突は軽量だが高価なチタンを採用。これは世界でも例を見ない試みだった。グリップも、様々なデータをもとに日本人の手の標準サイズを割り出し、指の一本一本が確実に握れる形状(ノッチ)を採用。更に、握った手になじむよう軟質の合成樹脂を新開発した。

現在のSINANOにある革新性と普遍性が、やはりこの時代の商品にも感じられる。

1981年フリーバックルの開発。

発売当時のカタログ

現在にまで至るロングセラーのストラップシステム『フリーバックル』はこの時、誕生した。現在フリーバックルは、ストラップ「NO-大」に採用。ストレスのない位置にバックルを任意で移動できるため、ポールワークを重視するスキーヤーから、今も昔も愛され続けている。

(特許取得)

1990年『イントラ』が大ヒット。

スキー全盛期の1990年代に『Ski of the year』※No.1の座を7年連続で獲得し、スキーヤーから圧倒的な支持を得ていたINTRA(イントラ)。

INTRA(イントラ)という名前からも連想できる通り、スキースクールのインストラクター 向けに設計されたポール。派手なデザイン・ファッション性もさることながえら、ゲレンデでインストラクターのストックワークが生徒によく見えるようにと、実用的観点から考え出されたものだった。

1993年イントラで紀子様スキー。

当時26歳だった紀子様が、この年のスキー旅行で車山高原スキー場にてスキーを楽しまれた際に使用していたのが、同時期に大人気を博していたINTRA(イントラ)であった。当時の文献をみると、大学以来5年ぶりのスキーとのことだったが、ブランクを感じさせない鮮やかなポールさばきだったという。

1995年カーボン製ポールを生産開始。

初のカーボンモデル「CF-11」。限定モデルとして発売された。

SINANOで初めて採用されたカーボンは、その軽さと強靭さもさることながら、「原点は安全性(当時のSINANOが打ち出したコンセプト)」の名のもとに、カーボンにアラミド繊維(ケブラー)が巻かれた。カーボンポールの破損時に、カーボンの飛散からスキーヤーを守るという安全機能を強化した設計で、軽さ・強度・安全性の系譜は現在のハイエンド競技系ポールCK-14に受け継がれている(CKはCarbon+Kevlarの略)。

その後、他にも多様なカーボン素材が登場し、スキーシーンに合わせて素材を選択している。

2002年日本で初のサイズ伸縮ポールを発売開始。

現在のスキーシーンにかかせないサイズ伸縮ポールはこの時誕生した。しかも、ただ伸縮させるのではなく、シャフトのガタつきを抑え、1本もののポールと同等の使用感が得られるようにと、二重にシャフトを固定するW-ロックシステムが発売当初から採用された。

スキーヤーの欲求に正面から真摯に向き合って開発したことで生まれた伸縮ポールは、瞬く間にスキーヤーの心をとらえた。

2003年SINANO独自のグリップシステム『フィンガーホルダー』を開発。

多くのファンを持ち、近年のSINANOの代名詞とまでなったフィンガーホルダー。ポールワークをより高みへ誘うこの独自機構は、技術戦においても数多くの上位入賞者に愛用されている。

小指と薬指の間を抑えることで、グリップをしっかり握れ、素早いポールワークができるのが最大の特徴。

(特許取得:4091469)

2011年次世代のサイズ伸縮機構としてFast Lockを開発。

11年に開発、翌年からこの新ロックを搭載したFREE FASTシリーズを販売開始。ワンタッチでサイズ調節が可能なので、スキーシーンに合わせた滑りができるのと、至高のスウィングバランス(振りやすさ)を設計に盛り込んだことで、好評を博す。

スペシャルインタビュー 藤井守之

 

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